はじめに
既にご存知の方も多くいるとは思いますが、
このブログのキャチコピーでもある
「麻布と渋幕には、実は深い関係!」
というか繋がりがあります。
そこで、今回は、「麻布中学校」と「渋谷教育学園幕張中学校」との深い関係について、色々と述べたいと思います。
麻布と渋幕の深い関係について!
以下、「麻布中学校」と「渋谷教育学園幕張中学校」との深い関係についてです。
渋幕の校長は麻布出身!
色んな業界に麻布出身の有名人、著名人は多数いますが、
渋幕の理事長、校長である、
田村哲夫(たむら てつお)氏
は、実は、
「麻布高校出身!」
です。
渋幕の田村哲夫校長は、1954年(昭和29年)に麻布を卒業し、その後、東京大学法学部に進学し、卒業後、銀行を経て学校法人渋谷教育学園の理事長となり、渋谷教育学園渋谷中学校、渋谷教育学園幕張中学校の理事長、校長を務めています。
また、渋幕を短期間で、東大をはじめとする超難関大学への合格者を多数出す、日本でもトップクラスの進学校に育てたのも田村哲夫校長であると言われています。
田村哲夫校長が書いた
「教えて! 校長先生 渋谷教育学園はなぜ共学トップになれたのか」
という本も有名です。
※もちろん、うちにもあります。
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そして、田村哲夫氏が創立し育てた渋幕は、2017年から、ついに、これも超短期間で東大受験専門塾である「鉄緑会」の指定校になっています。
というか、東大をはじめとする超難関大学への合格者を多数出す渋幕を、さすがに鉄緑会も放っておけなかったのだと僕は思います。
まっ、とにかく、
「田村哲夫氏は日本の教育者としては凄い方!」
です。(もちろん僕も尊敬しています。)
※ご参考までに
・渋幕が超難関校になった理由を解説します!
の記事も併せてご覧ください。
渋幕の校長は麻布の理事!
先に、渋幕の田村哲夫校長が麻布高校出身ということを述べましたが、麻布高校出身ということだけではなく、実は、1975年(昭和50年)から、渋渋、渋幕の理事長、校長を務めながら、
「母校である麻布学園の理事!」
も務めています。
※どのような経緯で麻布の理事になったのかは、詳細は不明ですが...
このように、田村哲夫氏を通じて、麻布と渋幕は意外にも、深い関係があり、繋がっています。
麻布と渋幕の共通点!
麻布というと、
「自由で校則がない学校!」
で有名ですが、実は、
渋幕も自由の中で
「自調自考」
という自分で調べて、自ら考えるという、教育方針であり、生徒に自由を委ねるという意味では、麻布の「自由」と共通する部分が多々あります。
また、校則についても、渋幕にもほとんどないことなど、学校方針や理念において共通することが多々あります。
実際、田村哲夫校長へのインタビュー記事などを見てみると、
渋幕を創立する際に、
・麻布で学んだことが大変参考になった。
・生徒の自主性を重んじる自由な校風の学校を作りたいと思っていた。
と述べています。
このように、教育方針や理念などにおいても、
「麻布と渋幕には共通点!」
が多くあり、繋がっているように感じ取れます。
麻布と渋幕の相違点!
先に、麻布と渋幕の共通点を述べましたが、もちろん、相違点もあります。
例えば、麻布には制服が無く、服装は自由ですが、渋幕には制服があるなどの相違点はありますが、僕が考える一番の大きな相違点は、渋幕には「シラバス」がありますが、麻布には「シラバス」が無いという点です。
※シラバスについては、
・中学受験における「シラバス」とは?
の記事をご覧ください。
いずれにせよ、麻布と渋幕には多くの共通点はありますが、それぞれの学校の良さを活かした相違点もあります。
あとは、どうでもいいですが、うちの息子曰く、麻布の机と椅子は、普通の学校によくある机と椅子ですが、受験の時に訪れた渋幕の机は機能性がある綺麗な机と椅子だったと言っていました...早い話が渋幕の机は良かったと...
ご参考!
以前、
・麻布と渋幕に合格した場合、どちらに入学するか?
という記事でも述べていますが、うちの場合は、麻布の本番受験前に渋幕に合格していたということもあり、麻布が不合格だった場合は、渋幕に入学させるつもりでいました。
もちろん、息子も麻布が不合格だったら渋幕に入学したいと言っていました。
今思えば、やはり、受験生である子供にも、麻布と渋幕には、目には見えない何か相通ずるものがあったからだと考えています。
最後に
今回、麻布と渋幕の深い関係について色々と述べたように、渋幕の校長が麻布高校出身であるということや、渋幕の校長が麻布の理事も務めているからかは分かりませんが、いずれにせよ、麻布と渋幕は意外なところで関係があり、繋がっています!
ちなみに、今回のこの記事ネタは、うちの息子が受験の時に家内から聞きましたが、僕はその時、
「へーそーなんだー」
と思っていましたが、約2年後に、こうして記事にしてみても、あまり思いは変わっていません。
皆さんも「へーそーなんだー」というレベルで思っていただければ幸いです。
以上です。